建設の歴史散歩+

1974~2005まで連載された建設の歴史散歩+エッセイ的な

第六回 江戸上水の建設者 大久保藤五郎忠行

 江戸上水の建設者 大久保藤五郎忠行 ~建設の歴史散歩~ 菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年8月号の記事より 

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この記事が書かれた当時と今とでは状況が全く違うのである。そこを切なく読んだ。少し前まで水道民営化が気掛かりだったが、更にまた雨が降らない問題。昆虫のように我々も樹液や蜜をチューチュー吸う日が近づいてるのだろうか。

父が亡くなり1年ぽっち住んだ仮の住居の武蔵小金井。井の頭の水源を引いた井戸があり、存続費を払えば誰でも汲むことができた。そこのキャプションに確か井の頭の水はほぼ枯れたようにあったはず。本文によれば井の頭公園には七井の池があったそうで、枯れたのは誠に惜しまれるが、唯一残る湧き水、そこにある像が可愛らしい。像のモデルは藤五郎だろうか。(現在の湧き水をググッてみたが像の写真や記述は見つからず。)

大久保主水三河餅献上の図(大久保家蔵)

井の頭公園から神田まで地上に樋を渡すという、気の遠くなる工事を手際よく行った男に、菓子作りの趣味があったとは。今で言うギャップ萌えというところか。藤五郎のみならず、工事に当たった人夫にもそれぞれ萌え部分があったのだろうと、そんなことを考えた。

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※添付画像には著作権が存在します。※表紙絵は牧野伊三夫さん画筆(全体像がup出来ず部分になってしまっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用しています※建設産業図書館の江口知秀さんに多謝申し上げます。

 

第五回 おかめ伝説と土建信仰 京都・大報恩寺

おかめ伝説と土建信仰 京都・大報恩寺 ~建設の歴史散歩~ 菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年7月号の記事より 

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内助の功にも程がある。京都のおかめさんです。夫の仕事上の大ミスを救ったスーパーウーマン。
柳の御簾の向こうに鎮座するお姿は、思わず、おっかあと呼びたくなる福福しい笑みを湛えています。夫を立てる女の鏡。いよっ。

てなもんですが、私は考えてしまうのよね。だって、おかめさん。内助の功の果てに自害してしまうんですもの。

数年前に私もおかめさんに会いに行きました。その時の一枚📷

 

夫のピンチを女の入れ知恵が救ったなどと知れたら夫の面目が立たない。これが現代女性なら、私よくやったわ的な晴れ晴れしい顔で、夫婦で肩叩きあったりなんかして、なんならビールでカンパーイ、なんて。いや、ミスの内容にもよるでしょうが…

何故おかめさんは自害し果てたか。私はこの数日考えていました。手柄を取るのは女ではなく男と決まっていた時代。男に女が進言したなぞと知れたら夫の沽券に関わるどころか、出世からは外れ組、どんな噂話を立てられるか分からない、大切な夫をそんな目にどうして合わせられようか。

と、ここまでは表向きとゆーか当たり前ですが、知恵を寄せた自分がとにかく情けなく恥ずかしくなってしまったんだろう。仮に、不出来な夫だろうが、または出来のいい夫だとしでも、どちらでもいいんですよね。夫を差し置いて(差し置いた訳じゃないけど)進言した自分を許せない。進言は有り得ない。でもやっちゃった。だから消えるしかない。

おかめさんがいなくなった日本にはウーマンリブな時代が訪れて、今は男女平等、いや、断然女性のほうが強くなってるように見えますが、まあ私もその恩恵で好き勝手に生きてるのでしょうが。どっちがいいのか答えが出ませんが、ないものねだりなのかな、おかめさんの覚悟の上の引き方に、時代風潮は関係なく、本来の女性らしさが伺えて、胸のあたりが妙に苦しくなるのでした。

今は『ユルさ』が尊重される時代。おかめさんのような『真剣さ』を忘れたらプライドもどっか消えてなくなったような。いつぞやにボディコンが流行った理由も何となく分かる気がしました。

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※添付画像には著作権が存在します ※表紙絵は牧野伊三夫さん画筆(全体像がup出来ず部分になってしまっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用させて頂いてます※建設産業図書館の江口知秀さんにも多謝を申し上げます。

 

第四回 石工・大工のふるさと 信州高遠

石工・大工のふるさと 信州高遠 ~建設の歴史散歩~ 菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年6月号の記事より 

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高遠の地を踏んだこの時の父は37歳。建設省を退職して日本建築センターに移っていました。(芝浦工大講師とありますが、父は掛け持ちで仕事をしていて、この連載もそのひとつ。)

休日になると出掛けていた取材旅行。カメラとペンとメモ帳と重い文献資料を鞄に詰めて、時間のない父には調べものは旅に向かう車中でした。そうして降り立った駅は春が待たれる季節。雄大な景色と古代鏡の諏訪湖を眼下に、桜で有名な高遠の集落へ。俗に江島事件(近年は幕府によるでっちあげ事件との説あり)と呼ばれる、大奥の江島が人気役者と恋に堕ち、追放された城下町でもあります。旅人にロマンとセンチメンタリズムを呼び起こしたのではないでしょうか。


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歌舞伎の演目にもなった江島事件

 

高遠の石工を調べる気になったのは、いかにも父らしいのです。父は人の血の通った物語が好きでした。建築物ではなく、建設業の物書きになったのも、大工や職人、苦労人の物語に魅了される部分があったからでしょう。会社勤めに苦悩する一方で、物書きに精を出す日々もまた、職人の石工の心情に重なったかも知れません。

 

春を待つ里の風情を胸いっぱいに伝えるこの回は、取材の使命と期待感に溢れる胸中と、石工の過酷な運命を受け止めるものでした。のどかな桜の里から築城に駆り出され、搾取され続けた無名の石工の魂が少しでも安らぎを得るなら、この原稿も無駄ではないと思えるのです。更に旅風情を感じて頂けたら嬉しい限りです。私も次の春は、無名の石工の魂へ手を合わせに行こうかな。

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※添付画像には著作権が存在します

※表紙絵は牧野伊三夫さん画筆(全体像がup出来ず部分になってしまっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用させて頂いてます※建設産業図書館の江口知秀さんにも多謝を申し上げます。

 

第三回 日本人の手になる 初の鉄道トンネル工事跡

『 日本人の手になる 初の鉄道トンネル工事跡』 

~建設の歴史散歩~ 菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年5月号の記事より 
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第3回目は日本初の鉄道トンネル工事。少しその前に説明を付け加えますと、このブログは『建設の歴史散歩』を読んで興味を持った部分へ焦点をあて雑文にしたもの。何しろ建設分野の専門的なことは分かりませんし、主題とかけ離れた内容にもなりがちです汗。どちらか一方、読みやすいのだけでも構いませんし、もう片方へも興味を持って頂けたら嬉しく思います。

 

さて、トンネル。

装飾のない建造物となると遅々として筆が進みません。そこへきて今朝は新東名トンネルの崩落事故ニュース。一気にトンネルへの恐怖感が押し寄せました。思い出すのが昔読んだ漫画。少年少女がトンネル事故に巻き込まれ、光も水もなく、そのうち空気も失われる恐怖。息の詰まる閉塞感に加え、気の触れた人物が登場して、最後まで読む勇気がなかったです。絵も怖かった。

 

乗り鉄な私はトンネルに入ると圧が来るあの感じが苦手。それでも山を切り拓いて鉄道を通した作業員の苦労を思わずにいられないのは、あの村上の鮭を描いた高橋由一の絵が頭をかすめるからでしょうか。絵画に描かれるトンネルへの望郷の念。(※高橋由一に描かれるのは鉄道トンネルではありませんが)描かれる市井の人々の姿に様々な苦労が偲ばれます。
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栗子山隧道図 (明治14-15)/高橋由一

 

日本初のトンネル掘削工事がどれほど危険と隣合わせの作業だったかは容易に想像のつくところですが、暮らしを便利にしたトンネルを有難く感じる一方で、大切な資源である山を切り拓くのはもう止めにしたい。当時の職人の勇気と功績を讃える気持ちもまた別のところにあります。物事には両局面が。100人が100人満足する道はないのかと、今コロナ禍に。もう愛しかないんじゃない?



 ※画像の文章には著作権が存在します ※表紙絵は牧野伊三夫さん画筆(全体像がup出来ず部分になってしまっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用させて頂いてます※建設産業図書館の江口知秀さんにも多謝を申し上げます。

 

 

第二回 建設者 武田信玄

『 建設者 武田信玄~建設の歴史散歩~ 菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年4月号の記事より 

 

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三年前に至近の荒川に降り注いだ大雨は、あと数センチで限界数値に到達するところをギリギリで難を逃れた。近隣には浸かった家屋もあり、上空にはヘリが飛んだ。現在は土手の盛土工事が行われてるけど、完成には10年かかると言うし、この先どうなるやら。(写真は翌朝、避難先から帰宅して眺めた町の様子。田んぼが水没して海状態。)


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さて、建設の歴史散歩の第2回目は甲斐の武将、武田信玄です。

巧みな手腕で甲斐国を水難から守り、更なるリーダーシップで豊沃な土地に変えた男。その功績は大きく、山梨にルーツを持つ男友達もそんな信玄を讃えていますが、さて、信玄はどのような指揮を執ったのでしょう。

ここで一旦、話を我が町に戻します。夫が通勤で通る荒川の『 治水橋』は、名前から分かるように過去に何度も氾濫し、多くの人命が奪われました。要因となる蛇行した川の形状を変えるべく、横に支流を作り、そちらを本流としたことで暴れ川は鎮まりました。近年のような未曽有の降雨量がなければですが。

元々の本流であった、びん沼川は、希少な渡り鳥が飛来する自然公園を有します。犬の散歩で私もよく利用しました。その自然豊かな公園が今、バーベキュー広場やパターゴルフ場に取り変わろうとしています。

川岸の葦はごっそり刈り取られ、見るも無惨な姿です。鳥が羽を休める場所はなくなりました(私が見たカワセミは最後だったんだな)。草原に響く鳥の鳴き声も聞こえない、希少なシジミ蝶もいなくなり、カブトムシが集まる木は治安がよくない理由で伐採され、その切り株はいつまでも痛々しい。

公園には毎朝、定点観察に訪れる野鳥の会のおじさんが、残念なことにお亡くなりになりましたが、環境保全に心血を注いでいたSさんは、子供の自然教室を開催し、野草を煮炊きして食べたり、自然を面白く遊び尽くす天才でした。Sさんが今もご存命なら、そう願うのは私だけではないはず。

人間は大事なことを忘れてしまったのか、いや、良心を捨て、見て見ないふりをしているだけではないのか。今こそ思い出したいのが、信玄の出した『山法度』のお触れです。堅固な護岸工事を完成するには、水源地の山林をしっかり根固めしなくてはなりません。山林保護なくして、水難から人々を護ることは不可能だったでしょう。

建設ってそういうもののはず。後世まで胸を張って安心出来る国づくりを目指したいですね。第2回目は鼻息が荒くなりました。3回目は落ち着きたいです。

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 ※画像の文章には著作権が存在します。※表紙絵は牧野伊三夫さん画筆(全体像がup出来ず部分になってしまっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用させて頂いてます※建設産業図書館の江口知秀さんにも多謝を申し上げます。

 

 

第一回 谷中の五重塔

『 谷中の五重塔』 ~建設の歴史散歩~ 菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年3月号の記事より


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連載の先陣を切るのは谷中の五重塔。私の父は文学少年で、持ち金のほとんどを古書収集に費やしていた。建設業の物書きになってからは、更に本は増え、家も事務所も建物は底が抜けそうだった。連載第一回目に文学が登場するのはなかなからしくて良いと思う。

さて、だいぶ以前のこと、人から、あれはいいですよ是非読んでくださいと勧められた幸田露伴の『 五重塔』。読み始めたらあらほんと、歌舞伎や浮世絵で見得を切るあの型が活字を飛び出して来るようで、登場人物の魅力的なことといったら、特に終盤のテンポの良さ。
読んでみてください。短編ですっきり書棚に収まる姿も魅力的。


主人公に惚れ、小説に惚れた。好きなタイプの男性はと聞かれたら五重塔と答えてもいいかな。
残念なことに五重塔は心中の巻き添えで燃えてしまうけど、江戸の名物は火事と喧嘩と決まってる。今みたいに買収とか、つまらないことで無くなるよりいいかしら。

そうしてある日、五重塔(の跡)の見学に降り立った日暮里駅はハラハラ桜のど真ん中。花見客の喧騒を払い退けるように歩いて、江戸情緒な昼酒へと洒落こんだ私は、奢られ酒ではもう一杯を言い出せず、空の杯を見つめていたっけ。

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※画像には著作権が存在します。※表紙絵は牧野伊三夫さん画筆(全体像がup出来ず部分になってしまっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用させて頂いてます※建設産業図書館の江口知秀さんにも多謝を申し上げます。

建設の歴史散歩+とは

 

日本人の心の風景や、ゆとりある人情が失われゆく時代です。先人の偉業、建設土木の功績を残しておきたいと思うようになりました。このblogは、日本土木工業協会の機関誌『建設業界』に1974年3月号~2005年10月号まで私の父が連載していたコラム『建設の歴史散歩』を紹介するものです。そこに私の雑文を足して発表することにしました。小旅行気分で気楽に読んでいただけたら嬉しく思います。

 

---文献資料だけの知識では心許なく、努めてその地にじかに触れたい、取組み苦悩した開拓者の血と汗を記録しておきたい、筆者のそのような思いからこの連載は始まりました。~連載一回目の本文より抜粋。

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2022年の残暑に。