建設の歴史散歩+

1974~2005まで連載された建設の歴史散歩+エッセイ的な

第10回 初代清水喜助の故郷

初代清水喜助の故郷  ~建設の歴史散歩~菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年12月号の記事より 

 

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この丘に私も立ったことがある。と思ったけど、本当にこの丘だったのかな?とにかく父が倒れた後、葬儀が済んでも用事が引けなくて、ひと月の間に実家と私の賃貸アパート、父の事務所の3箇所の引越しをした。自分が体調を崩していることにも気づかないほど。尋常じゃない疲れ方だったけど、渦中で麻痺していたのだろう。

なじぇに私は旅先に北陸の地を選んだんだろ。そうだ、おわら風の盆が見たかった。結局、祭り会場には行かなかったけど(疲れてた)。気力と好奇心のみで出発した一人旅は、余裕のヨっちゃんの字もなかったけれど、丘から見下ろす平野(散居村?)は、地平線まで見えるような広大な眺めであった。この回を読むと父も心丈夫に丘に登ったのではないこと分かるが、最後に『ここにきてよかった、と私はおもっていた』って。私もそんな感じだったんだろう。

 

駅から真っ平らの360度平野の視界の道(だったように思う)を真っ直ぐ丘に向かって歩いた。すれ違う人もいなかったように思う。途中で郵便屋さんか誰かに道を尋ねたような。父のようには私は怪しまれなかった。(父はなんというか見た目からして変わっていて、自転車で走っているだけでよく職務質問を受けていた笑。)

私のその北陸旅は、寒い季節に行ったとばかり思っていたけど、永平寺から黒部峡谷へ行く富山駅の乗り換えが暑くてしんどくて、黒薙温泉の野天風呂にはアブが出たし、あれは夏だったんだ。混浴だったので誰か来やしないか、アブにもビクビク、生きた心地がしなかったっけ。

鵜飼も見た。何処かの河原で花火も見たな。ということは3泊くらいしたんだろうか。灯篭流しの河原では幽霊を見たけど、あれは絶対私を呼びに来てたはず。完全に片足突っ込んでた。私は1度あの世へ行って助かった人生と思ってるので、報いて生きねばならんけど、今ががやっとです。

どろろ〜失礼しました~

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追記

※記憶では駅近くだったかに佐藤工業の社屋があった。佐藤工業からは毎年チューリップの球根が送られてきていて、父が亡くなった後の春に、もうチューリップは届かないねと母が寂しがっていたのを思い出す。

 

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※添付画像には著作権が存在します。※表紙絵は牧野伊三夫さん(全体像がup出来ず部分になっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用しています ※建設産業図書館の江口知秀さんに多謝申し上げます。