建設の歴史散歩+

1974~2005まで連載された建設の歴史散歩+エッセイ的な

第五回 おかめ伝説と土建信仰 京都・大報恩寺

おかめ伝説と土建信仰 京都・大報恩寺 ~建設の歴史散歩~ 菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年7月号の記事より 

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内助の功にも程がある。京都のおかめさんです。夫の仕事上の大ミスを救ったスーパーウーマン。
柳の御簾の向こうに鎮座するお姿は、思わず、おっかあと呼びたくなる福福しい笑みを湛えています。夫を立てる女の鏡。いよっ。

てなもんですが、私は考えてしまうのよね。だって、おかめさん。内助の功の果てに自害してしまうんですもの。

数年前に私もおかめさんに会いに行きました。その時の一枚📷

 

夫のピンチを女の入れ知恵が救ったなどと知れたら夫の面目が立たない。これが現代女性なら、私よくやったわ的な晴れ晴れしい顔で、夫婦で肩叩きあったりなんかして、なんならビールでカンパーイ、なんて。いや、ミスの内容にもよるでしょうが…

何故おかめさんは自害し果てたか。私はこの数日考えていました。手柄を取るのは女ではなく男と決まっていた時代。男に女が進言したなぞと知れたら夫の沽券に関わるどころか、出世からは外れ組、どんな噂話を立てられるか分からない、大切な夫をそんな目にどうして合わせられようか。

と、ここまでは表向きとゆーか当たり前ですが、知恵を寄せた自分がとにかく情けなく恥ずかしくなってしまったんだろう。仮に、不出来な夫だろうが、または出来のいい夫だとしでも、どちらでもいいんですよね。夫を差し置いて(差し置いた訳じゃないけど)進言した自分を許せない。進言は有り得ない。でもやっちゃった。だから消えるしかない。

おかめさんがいなくなった日本にはウーマンリブな時代が訪れて、今は男女平等、いや、断然女性のほうが強くなってるように見えますが、まあ私もその恩恵で好き勝手に生きてるのでしょうが。どっちがいいのか答えが出ませんが、ないものねだりなのかな、おかめさんの覚悟の上の引き方に、時代風潮は関係なく、本来の女性らしさが伺えて、胸のあたりが妙に苦しくなるのでした。

今は『ユルさ』が尊重される時代。おかめさんのような『真剣さ』を忘れたらプライドもどっか消えてなくなったような。いつぞやにボディコンが流行った理由も何となく分かる気がしました。

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※添付画像には著作権が存在します ※表紙絵は牧野伊三夫さん画筆(全体像がup出来ず部分になってしまっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用させて頂いてます※建設産業図書館の江口知秀さんにも多謝を申し上げます。