建設の歴史散歩+

1974~2005まで連載された建設の歴史散歩+エッセイ的な

第二回 建設者 武田信玄

『 建設者 武田信玄~建設の歴史散歩~ 菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年4月号の記事より 

 

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三年前に至近の荒川に降り注いだ大雨は、あと数センチで限界数値に到達するところをギリギリで難を逃れた。近隣には浸かった家屋もあり、上空にはヘリが飛んだ。現在は土手の盛土工事が行われてるけど、完成には10年かかると言うし、この先どうなるやら。(写真は翌朝、避難先から帰宅して眺めた町の様子。田んぼが水没して海状態。)


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さて、建設の歴史散歩の第2回目は甲斐の武将、武田信玄です。

巧みな手腕で甲斐国を水難から守り、更なるリーダーシップで豊沃な土地に変えた男。その功績は大きく、山梨にルーツを持つ男友達もそんな信玄を讃えていますが、さて、信玄はどのような指揮を執ったのでしょう。

ここで一旦、話を我が町に戻します。夫が通勤で通る荒川の『 治水橋』は、名前から分かるように過去に何度も氾濫し、多くの人命が奪われました。要因となる蛇行した川の形状を変えるべく、横に支流を作り、そちらを本流としたことで暴れ川は鎮まりました。近年のような未曽有の降雨量がなければですが。

元々の本流であった、びん沼川は、希少な渡り鳥が飛来する自然公園を有します。犬の散歩で私もよく利用しました。その自然豊かな公園が今、バーベキュー広場やパターゴルフ場に取り変わろうとしています。

川岸の葦はごっそり刈り取られ、見るも無惨な姿です。鳥が羽を休める場所はなくなりました(私が見たカワセミは最後だったんだな)。草原に響く鳥の鳴き声も聞こえない、希少なシジミ蝶もいなくなり、カブトムシが集まる木は治安がよくない理由で伐採され、その切り株はいつまでも痛々しい。

公園には毎朝、定点観察に訪れる野鳥の会のおじさんが、残念なことにお亡くなりになりましたが、環境保全に心血を注いでいたSさんは、子供の自然教室を開催し、野草を煮炊きして食べたり、自然を面白く遊び尽くす天才でした。Sさんが今もご存命なら、そう願うのは私だけではないはず。

人間は大事なことを忘れてしまったのか、いや、良心を捨て、見て見ないふりをしているだけではないのか。今こそ思い出したいのが、信玄の出した『山法度』のお触れです。堅固な護岸工事を完成するには、水源地の山林をしっかり根固めしなくてはなりません。山林保護なくして、水難から人々を護ることは不可能だったでしょう。

建設ってそういうもののはず。後世まで胸を張って安心出来る国づくりを目指したいですね。第2回目は鼻息が荒くなりました。3回目は落ち着きたいです。

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 ※画像の文章には著作権が存在します。※表紙絵は牧野伊三夫さん画筆(全体像がup出来ず部分になってしまっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用させて頂いてます※建設産業図書館の江口知秀さんにも多謝を申し上げます。