建設の歴史散歩+

1974~2005まで連載された建設の歴史散歩+エッセイ的な

第三回 日本人の手になる 初の鉄道トンネル工事跡

『 日本人の手になる 初の鉄道トンネル工事跡』 

~建設の歴史散歩~ 菊岡倶也 『建設業界』日本土木工業協会 1974年5月号の記事より 
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第3回目は日本初の鉄道トンネル工事。少しその前に説明を付け加えますと、このブログは『建設の歴史散歩』を読んで興味を持った部分へ焦点をあて雑文にしたもの。何しろ建設分野の専門的なことは分かりませんし、主題とかけ離れた内容にもなりがちです汗。どちらか一方、読みやすいのだけでも構いませんし、もう片方へも興味を持って頂けたら嬉しく思います。

 

さて、トンネル。

装飾のない建造物となると遅々として筆が進みません。そこへきて今朝は新東名トンネルの崩落事故ニュース。一気にトンネルへの恐怖感が押し寄せました。思い出すのが昔読んだ漫画。少年少女がトンネル事故に巻き込まれ、光も水もなく、そのうち空気も失われる恐怖。息の詰まる閉塞感に加え、気の触れた人物が登場して、最後まで読む勇気がなかったです。絵も怖かった。

 

乗り鉄な私はトンネルに入ると圧が来るあの感じが苦手。それでも山を切り拓いて鉄道を通した作業員の苦労を思わずにいられないのは、あの村上の鮭を描いた高橋由一の絵が頭をかすめるからでしょうか。絵画に描かれるトンネルへの望郷の念。(※高橋由一に描かれるのは鉄道トンネルではありませんが)描かれる市井の人々の姿に様々な苦労が偲ばれます。
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栗子山隧道図 (明治14-15)/高橋由一

 

日本初のトンネル掘削工事がどれほど危険と隣合わせの作業だったかは容易に想像のつくところですが、暮らしを便利にしたトンネルを有難く感じる一方で、大切な資源である山を切り拓くのはもう止めにしたい。当時の職人の勇気と功績を讃える気持ちもまた別のところにあります。物事には両局面が。100人が100人満足する道はないのかと、今コロナ禍に。もう愛しかないんじゃない?



 ※画像の文章には著作権が存在します ※表紙絵は牧野伊三夫さん画筆(全体像がup出来ず部分になってしまっています)※田中良寿さん編の著作目録を活用させて頂いてます※建設産業図書館の江口知秀さんにも多謝を申し上げます。